差別表現と人権意識
政治家等の差別発言が当たり前のようにテレビ等でも取り上げられるようになりました。
私は、学生時代(20年以上前)から、表現と差別の問題に関心がありまして、大学の卒業論文も表現と差別に関係する論文を書いています。
ヘイトスピーチの問題が取り上げられるようになり、私も関心があったので、機会をつくりながら、研修等に行ったりして、この問題に関わっています。
悪意が明らかなヘイトスピーチは、今は違法な行為(法が許されないと宣言しています)なので、「法で禁止されて無いから許されるんだ」というような主張は法律上は克服されました。
ですが、それが市民の意識として浸透しているかは、まだ考えないといけないところなのかなと感じています。
ただし、選挙の際など、表現の自由を盾にしてヘイトスピーチをやっている人がいますが、極一部の人になってきています。(余談になりますが、私はヘイトスピーチは名誉毀損やわいせつのように表現の自由に含まれないと考えています。)
悪意で無く、それまでの習慣から、差別発言をしてしまう人がいます。そういう人たちは大体差別発言は悪いことだという認識があることが多く、発言を指摘されると、その後に自分を正当化することが多いです。ですが、正当化すると、その行為を許すことになります。
誰しも、心の中に差別意識が生まれることがあります。世の中の差別体質に染まる可能性も、すでに染まっている可能性もあります。
なので、差別の害悪、差別意識が行為として現れたときにその対象になる属性を持つ人の地位・立場を不当に貶めることを、常に意識することが大切です。差別意識を持たない自分をつくっていくことは人権意識の向上です。
差別をしていた自分・差別意識を持っていた自分に気がついて、自分の意識を変えていくことが、人権啓発の目的だと、私は考えています。
